★西方四十八願所

札所数 59(番号付き札所:48  客番・番外札所:11)
別称 日本西方四十八願所、弥陀霊像西方四十八願所
関連霊場  
公式情報・事務局  
御開帳情報  
開創年・開創者 天保2(1831)年2月・専阿
縁起・由緒・開創経緯

◎弥陀霊像西方四十八願所縁起より◎

専阿の札所選定の基準は、「霊山霊地を問はず、寺の大小堂㮌を云ず、石木絵像と法号をも論ぜず、ただ感応白(いちじるし)き霊仏のミを撰んだ」とのこと。

備考

・各地の阿弥陀如来巡拝霊場。

・札所選定者の専阿とは、浄土宗西山派の僧で裔空寛苗といい、専阿と自称して乗誓と号した人物。

・遠国11ヶ所を加えて、全59ヶ所から成っている。

・西方導詠歌と翼添の歌各144首の内37首は古歌で、他はすべて専阿が詠んだ歌。

・縁起の中で専阿は、本霊場を巡った人に「洛陽48願所」の巡礼も合わせて勧めている(と言うより、必ず参り給うべしと義務付けている)。

・元の札所配置だと、徒歩でおおよそ60~70日といった行程になる。

・西方四十八願所霊場会による書籍が、平成19(2007)年に出版されている。

情報掲載日・更新日 公開:2024年02月27日  更新:2024年03月09日

 

札番 山・院・寺号 御本尊 宗派 住所 備考
1番 定額山 善光寺 阿弥陀如来

無宗派

・大勧進:天台宗

・大本願:浄土宗

長野県長野市長野元善町491 信州善光寺
2番 日輪山 遍照光院 曼陀羅寺 阿弥陀如来 西山浄土宗 愛知県江南市前飛保町寺町202  
3番 柳星山 護国院 常念寺 阿弥陀如来 西山浄土宗 愛知県一宮市大江1丁目11-26 尾張法然25霊場
4番 玉松山 般若院 祐福寺 阿弥陀如来 浄土宗西山禅林寺派 愛知県愛知郡東郷町春木屋敷3417 城東33観音
5番 亀井山 円福寺 阿弥陀如来 時宗 愛知県名古屋市熱田区神戸町301  
6番 龍松山 正住院 阿弥陀如来 西山浄土宗 愛知県常滑市保示町1丁目56

知多法然25霊場、知多坂東33観音

7番 恵日山 大宝院 観音寺 聖観世音菩薩 真言宗醍醐派 三重県津市大門32-19 津観音、三重88霊場
8番 厭離山 欣浄寺 阿弥陀如来 浄土宗鎮西派 三重県伊勢市一之木2丁目6-7 再建中、法然25霊場
9番 萱堂   真言宗 (伊勢国内宮菩提山) 廃寺
10番 五劫院   浄土宗鎮西派 (伊勢国内宮菩提山) 廃寺
11番 大宝山 仏眼寺 阿弥陀如来 時宗 滋賀県栗東市綣8丁目4-29  
12番 紫雲山 聖衆来迎寺 阿弥陀如来 天台宗 滋賀県大津市比叡辻2丁目4-17  
13番 聖真寺   天台宗 (近江国比叡山日吉本地堂)  
14番 比叡山 浄土院 阿弥陀如来 天台宗 滋賀県大津市坂本本町4220 伝教大師の御廟所
15番 魚山 大原寺 勝林院 阿弥陀如来 天台宗 京都府京都市左京区大原勝林院町187 法然25霊場
16番 鞍馬山 鞍馬寺

千手観世音菩薩

毘沙門天王

護法魔王尊

鞍馬弘教 京都府京都市左京区鞍馬本町1074 新西国33霊場
17番 紫雲山 宝林院 西念寺 阿弥陀如来 浄土宗鎮西派 京都府京都市北区大宮中林町70 久保御堂
18番 鈴聲山 真正極楽寺 阿弥陀如来 天台宗 京都府京都市左京区浄土寺真如町82 真如堂、洛陽6阿弥陀
19番 聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺 阿弥陀如来 浄土宗西山禅林寺派 京都府京都市左京区永観堂町48 永観堂、洛陽6阿弥陀
20番 華頂山 大谷寺 知恩院 阿弥陀如来 浄土宗鎮西派 京都府京都市東山区林下町400 法然25霊場
21番 仏性山 本覚寺 阿弥陀如来 浄土宗鎮西派 京都府京都市下京区本塩竈町558 洛陽48地蔵
22番 八葉山 安養寺 阿弥陀如来 浄土宗西山禅林寺派 京都府京都市中京区新京極蛸薬師下ル東側511 洛陽6阿弥陀
23番 家隆山 光明遍照院 石像寺 地蔵菩薩 浄土宗鎮西派 京都府京都市上京区千本通上立売上ル花車町503  
24番 五台山 清凉寺 釈迦如来 浄土宗鎮西派 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46 嵯峨釈迦堂
25番 西山 三鈷寺 仏眼曼荼羅 西山宗(四宗兼学) 京都府京都市西京区大原野石作町1323 華台廟、西山国師16遺跡
26番 報国山 念仏三昧院 光明寺 阿弥陀如来 西山浄土宗 京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1 法然25霊場
27番 八幡本地堂   真言宗 (山城国八幡宮御本地堂極楽寺) 廃寺
28番 阿弥陀寺 阿弥陀如来 西山浄土宗 京都府宇治市宇治下居42-9  
29番 光明山 即成院 阿弥陀如来 真言宗泉涌寺派 京都府京都市東山区泉涌寺山内町28  
30番 小田原山 法雲院 浄瑠璃寺 阿弥陀如来 真言律宗 京都府木津川市加茂町西小札場40 九躰寺、西国49薬師
遠国1 立山 芦峅寺 奥之院   天台宗 (越中国立山)  
遠国2 白山 越南地 奥之院   天台宗 (越中国白山)  
遠国3 富士山頂   天台宗    
遠国4 定額山 浄智院 善光寺 善光寺如来 浄土宗 山梨県甲府市善光寺3丁目36-1 甲斐善光寺、甲斐108霊場
遠国5 手石阿弥陀仏(手石弥陀窟)   禅宗 静岡県賀茂郡南伊豆町手石  
遠国6 三縁山 広度院 増上寺 阿弥陀如来 浄土宗鎮西派 東京都港区芝公園4丁目7-35 関東18檀林、江戸33観音
遠国7 始覚山 還洞院 本覚寺 阿弥陀如来 浄土宗鎮西派 青森県東津軽郡今別町今別119  
遠国8 熊野妙法山 阿弥陀寺 阿弥陀如来 真言宗御室派 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町南平野2270  
遠国9 加祐山 来迎寺 阿弥陀如来 浄土宗西山禅林寺派 山口県宇部市船木茶屋1521  
遠国10 井上山 光明院 善導寺 阿弥陀如来 浄土宗鎮西派 福岡県久留米市善導寺町飯田550  
遠国11 阿蘇山     (筑後・肥後国)  
31番 州見山 念仏院 安養寺 阿弥陀如来 浄土宗鎮西派 京都府木津川市市坂久保川56  
32番 超勝寺   真言宗 (大和国二条超勝寺清海曼陀羅) 廃寺
33番 思惟山 五劫院 阿弥陀如来 華厳宗 奈良県奈良市北御門町24  
34番 東大寺 龍松院(龍青院) 阿弥陀如来 華厳宗 奈良県奈良市雑司町406 下記へ
  東大寺 勧進所 阿弥陀堂 阿弥陀如来 華厳宗 奈良県奈良市雑司町406  
35番 日輪山 称名寺 阿弥陀如来 西山浄土宗 奈良県奈良市菖蒲池町7  
36番 元興寺 極楽坊 阿弥陀如来 真言律宗 奈良県奈良市中院町11  
37番 二上山 當麻寺 當麻曼陀羅 真言宗・浄土宗 奈良県葛城市當麻1263 法然25霊場
38番 国軸山 金峯山寺 金剛蔵王大権現 金峯山修験本宗 奈良県吉野郡吉野町吉野山2498  
39番 蹴破山 西方院 浄土寺 阿弥陀如来 浄土宗鎮西派 和歌山県有田郡有田川町西ケ峯1466  
40番 雲雀山 得生寺 阿弥陀如来 西山浄土宗 和歌山県有田市糸我町中番229  
41番 梶取本山 総持寺 阿弥陀如来 西山浄土宗 和歌山県和歌山市梶取86  
42番 引接寺   時宗 (和泉国堺) 廃寺
43番 磯長山 叡福寺 聖如意輪観世音菩薩 真言宗系単立 大阪府南河内郡太子町太子2146 上之太子、聖徳太子28霊場
44番 荒陵山 四天王寺 救世観世音菩薩 和宗 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1丁目11-18 なにわ7幸
45番 坂松山 高岳院 一心寺 阿弥陀如来 浄土宗鎮西派 大阪府大阪市天王寺区逢阪2丁目8-69  
46番 紫雲山 聖聚院 来迎寺 天筆如来 浄土宗鎮西派 大阪府守口市佐太中町7丁目11-17  
47番 遍照山 時光寺(慈光寺) 阿弥陀如来 浄土宗西山禅林寺派 兵庫県高砂市時光寺町12-18 播州善光寺
48番 誓願寺 阿弥陀如来 浄土宗西山深草派 京都府京都市中京区新京極桜之町453 洛陽6阿弥陀

 

札番 御詠歌
1番

導かん なつみ水汲む 男女まで わかり安かる 歌を知らして

急げ人 弥陀の御船の かよふ世に 乗り遅れなば いつか渡らむ

待ちかねて 嘆くとつけよ みな人に いつをいつとて 急がざるらん

2番

いつまでか 明けぬ暮れぬと 営なまん 身はかきりあり ことはつきせず

とふとめよ 金の玉のそれよりも 仏法僧の 三つの宝を

魂も 冥土もなきと 言ふ人は 釈迦より知恵の いかにありてか

3番

極楽も 地獄もなしと 言ふ人は やがて奈落に 落つる人なり

釈迦仏も 地獄の苦げん もし説かば 人は血を吐き 死ぬとしめせり

善き人と 世には言ふとも 念仏を まうさぬものは 地獄にぞゆく

4番

ほんなうの 護符に引かれて 誰も皆 地獄よりほか 行き方もなし

盗みせず 人殺さぬを 良きにして 身に咎なしと 思うはかなき

出づるいき 入るいきことの 思ひこそ 地獄に落つる 種となりぬれ

5番

夜昼に 八億四千の 罪咎は 重荷としらで 身に負ひにけり

われ人の 罪は菩薩も 知らねども ただ仏のみしろ しめしけり

もしも又 閻魔のてうに 到りなば 泣けど叫べど その甲斐はなし

6番

往生の ためにこの世に 生まれきて 元の悪趣に またもかへるな

忘れても また生まれんと 思ふなよ ここは迷ひの 六道の辻

極楽の やがて悟りの 身となりて また世にかへり 人を導け

7番

諸々の 教へはあれど 末の世の 人の力に たえて叶はず

たまたまに 修行の道へ 進めども 心のこまは あれまはる也

しゅうぶつの 縁の絆 切れ果てて 生死の海に 漂ふぞうき

8番

今の世に おのれみづから 修行して 仏になるを 自力とはいふ

阿弥陀仏の 誓ひにすがる 御名呼びて 往生するぞ 他力なりける

自力にて 菩薩位経るも 安からず まして仏に なるはかたきぞ

9番

諸々の 仏は見捨て ましませど 弥陀ひとりこそ 助け給へれ

誓願に 南無阿弥陀仏と いふ人を 救ひとらずば 弥陀と名乗らじ

おのが身を 極悪人と かへりみて 仏の御名を たへず唱へよ

10番

ただ頼め よろづの罪は 深くとも 我が本願の あらんかぎりは

南無阿弥陀 仏の御名の ひとこえに 無量の罪は 露と消へけり

とのふれば 願行ともに ぐそくせり 口に任せて 南無阿弥陀仏

11番

念仏を 唱へて往生 することは 弥陀の本願 釈迦の経説

唱ふれば たかはでにしに 生るると 諸仏証拠に たたせたまへり

阿弥陀仏と 唱へて往生 もしせずば 六方諸仏の 舌や朽ちなん

12番

阿弥陀仏に 釈迦は伝へを 受け継ぎて 浄土の 御のり 説き給ふなり

釈迦仏は 南無阿弥陀仏の 功徳をば 世に説かんとて 出で給ひけり

念仏の 功徳は釈迦も 一代に とけども尽きぬ のりのたふとき

13番

六字こそ 大善根の 功徳なれ 少善根は 余経なりけり

念仏を 末の世々まで 伝へよと 釈迦は阿難に 附属したまふ

あなたふと 無上功徳の 念仏に 諸仏諸教も こもるとぞきく

14番

極楽を 願ふにふじの たかねぶつ この上もなき 悟りなりけり

念仏を 聞くばかりにて 生るれば 唱ふる人は 疑ひもなし

難しき あんじんざたを 止めよ人 今にも死なば いかがしつらん

15番

知らぬから 世にむつかしく 思へども 南無阿弥陀仏と いへば生るる

念仏は 立ちい起き伏し 唱へよや 清き穢れの 選びなければ

阿弥陀仏は  善きも悪しきも 有智無智も 貴賤男女も 隔て給はず

16番

女人こそ 男にこへて 嬉しけれ 五七の願は いと確かなり

往生を 願ひながらの 世渡りと おもふて御名を 絶へず唱へよ

悪人を 助けんとての 弥陀なれば 作りし罪は さもあらばあれ

17番

悪人を 助けたまふと きく上は 少しの罪も 作らざらなむ

いささかの 罪も深山の 夏の葉の 日毎にしげり 身におほふなり

唱ふれば よしや十悪 五逆罪 作りし人も 助けたまへり

18番

世にこへし 大願力の たふとさよ 慈悲の他なる 不可思議の慈悲

妄念の よしおこるとも 捨て置きて ただ一筋に 南無阿弥陀仏

濁りても ねぶつのたまを 投げ入れば 心のみづぞ 清くなりぬる

19番

煩悩の 煙もなみも たたばたて 道一筋を 西にこそ行け

必ずも 機の良し悪しに 寄らずして 唱ふる者を 助け給へり

唱ふれば 分陀利華とぞ 褒めらるる 人の中にも 人ぞまれなる

20番

愚かなる 我等が信は あさけれど 仏の願の 深きたふとき

殊更に 重き罪ある 身をばなを 救はんとての 誓ひなりけり

のりえては かぢもろかひも いらばこそ ただ浦々の 風に任せよ

21番

罪あれば 下品下生も およばじと 低き願ひは 誰もかけなよ

我はただ 上品上生 その他へ むまれまじとの 心はげぬる

一丈の ほりをこへんと 思ひなば 二丈三丈 こえむとはせよ

22番

念仏に きらへるものは なけれども 名聞がまん 用心をせよ

しのびつつ まふせといふに あらねども 人目をかざる 心起こすな

名聞と 心つきなば そのままに かざる心は 消へて失せなん

23番

われほどに つとむる者は あるまじと 思はばやがて 魔のさはりなり

おもてには 信者と見せて まことなく 心のをくに 悪なたくみぞ

末の世は 外の御法は 失せ果てて 御名を唱ふる ばかりにはなる

24番

とき過て 益なき業を 捨てよかし 五劫思惟は たがためぞそも

ちよろづの 法のおしへを まじへずに まうすが一向 専修なりけり

誰も皆 釈迦のおしへに 随ひて ただ一筋に 御名を唱へよ

25番

往生は 御名を唱ふと 定めてし うへは余行も 助業とぞなる

結縁も 助業も今は 差し起きて 一向専修に しくことぞなし

もしも人 余仏余経を そしりなば 弥陀の心に 背くとは知れ

26番

一向は 心をこらす ためぞとて 仏や祖師の 深き教へぞ

専修には 現世の祈り なさずして 阿弥陀仏に 二世を任せよ

夢ぞかし たといや思ふ あらましを 叶へたりとて いくほどの世ぞ

27番

うきことの かさなる身こそ 嬉しけれ 世を厭ふべき たよりと思へば

願へども 浮世に心を とどむれば つながる舟を 漕ぐごとくなり

ひしひしと たのまばひしと 頼めがし なまざかしきは 弥陀にうときぞ

28番

忘れずば よしと心を すましゐて 御名を唱へぬ 人ぞ悲しき

信じても 唱へぬ人は 益ぞなき 心に思ひ 口にまふせよ

目に拝み 口に唱へて 耳に聞き 声が生まるる しるしなりけり

29番

念仏は 高き声にて 唱ふれば いよいよ功徳は 深きとぞきく

誰もみな 六字たしかに 唱へよや 南無阿弥陀仏と つの字つめずに

日課として 念仏の数を 定めねば 怠りがちに 成やすきかな

30番

怠らば きのふをけふに つとむべし あすをとりこす ことは良からず

別時とて 月に一日 もし七日 御名つとめよと をしへたまへり

人多く 集まる時は 夜もすがら 念仏の声を たやさざらまし

31番

所作じゅずを つぼくりにして 千よりは ざらざらぐりに 数万重ねよ

追善は 三宝供養 いとなみて 百万遍を たれもつとめよ

念仏の 数をつむをば 自力ぞと いふは他力を 知らぬ人なり

32番

安心に 自力他力と いふことは 心ひとつの 運びなりけり

わがかたに 自力他力も すておきて ただ唱ふるぞ 他力なりけり

仏出て よし念仏を とどむとも 悪魔のなせる わざと知れ人

33番

いやしとて 御名をすすむる 人ならば げにや仏の 使なるらん

人ひとり すすむるこそは 万億の 仏をつくる 徳にこへたり

ひとこえも 捨てぬ誓ひを 悦びて いよいよかずを はげみ唱えよ

34番

朝起きて 顔を洗はば 濡れでにて 西拝みつつ 十声唱へよ

阿弥陀仏と 十声唱へて まどろまん 長き眠りと なりもこそせめ

唱ふれば 寝ても覚めても 阿弥陀仏は かげやかたちを はなれたまはず

35番

御仏の 姿形を 観ぜずと 声にい出して 南無阿弥陀仏

霊験を みんと心に かけんより ただ往生と 思ふこそよき

往生を 疑ひながら 唱ふれば 唱ふるごとに 疑ひとなる

36番

疑ひも わが煩悩の 雲なれば 唱ふる声の 風にはれゆく

うつつちの 大地はよしや はづるとも われはけつじやう 往生をせん

往生は 世にやすけれど みな人の まことの心 なくてこそせぬ

37番

一度も 助けたまへと 思ふより 唱ふる声は まこととぞなる

極楽へ 生まれんと思ふ 心にて 南無阿弥陀仏と いふぞ三心

本願の 慈悲の深きを 信ずれば これがまことの 他力なりけり

38番

阿弥陀仏の 慈悲の光の 恵みにて われらが信の おこるたふとき

名号の つりばりのみし いろくづは いつかは弥陀の 御手に引かれむ

この身さへ すきもあまきも そなふれば まうせば西へ おのづから行く

39番

唱へるつ 人のおはりに をのづから 仏のむかひ ある道理なり

約束の 念仏はまうし さむらふに やらふやらじは 弥陀のはからひ

念仏を 低き御法と 思ふなよ 神や仏も 唱へたまへり

40番

唱ふれば 神や仏も 諸共に 祈らずとても 護り給へり

十万の 神や仏と 別れても もとへ帰すれば 弥陀の一仏

あふぎ見よ 弥陀の名号 末ひろく 八万四千の 経のかなめと

41番

西方は 諸仏の国に たちこめて 極楽とこそ 呼び給ひけり

唱ふれば ここにゐながら 極楽の 聖衆の数に 入るぞ嬉しき

御名呼べば かしこにはちす 顕れて わが名しるすと 聞くぞ楽しき

42番

ながらへば 念仏のこうを つみつみて 死なば浄土へ 参りつきなむ

何事も みな偽りの 世の中に 死ぬるばかりは まことなりけり

南無阿弥陀 助け給への ほかはみな 思ふも言ふも さはりなりけり

43番

看病の 功徳おほくて 広ければ 言葉のうへに 述べがたきかな

介抱を 不足に思ふ 病人は 心いかれて 地獄にぞ行く

臨終は つねと思ひを わけ置きて 忘れず祈れ 正念往生

44番

もしや人 病ひにあはば 御名唱へ 僧を頼みて 受けよ十念

臨終は 北を枕に 西に向き 来光仏を 前にかけおけ

夢や夢 病の人に 向かひては 浮き世のことを ふつにかたるな

45番

正念を 祈り願へよ 誰もみな いまはのきはの 人にかわりて

臨終の 心は乱れ やすければ 誰も静かに 御名を唱へよ

たとひまた 火の車来て むかふ共 唱ふる声に 弥陀は来光

46番

死期近く ならばつきそふ 人々も 酒肉五辛の 呑みくひをすな

一息に 御名一声つ 唱へよや はやくちなるは 死苦ぞ増しけり

末期には 水は良からず 湯を持ちて 潤すことは すくなきぞよき

47番

終わるとき 耳に近寄り いんきんを ひくいきごとに ひとつ鳴らせよ

仏には 香華灯明 供養して 御名唱ふより 他ないふまじ

諸菩薩は 伎楽歌詠の をと高く まくらのもとに むかひたまへり

48番

たのしやの 阿弥陀仏を 拝むれば 心も身をも 清くなりけり

はだへさへ 紫麿金色と なりぬれば 生老病死の うきなたえにき

うまるれば 十地の願行 自然にて いつと知らねど 仏とぞなる

 

札番 翼添之歌
1番

たしなみに これを覚えて 唱へかし 益なきことを 語るひまにも

縁ありて 人と生まるる その中に 弥陀の誓に あふそ嬉しき

かくばかり 契りまします 阿弥陀仏 知らず悲しき 年を経にけり

2番

後の世と 聞けば遠きに わたれども 知らずやけふも その日なゐらん

受けがたき 身をいたずらに なしてまし かかる御法に 生まれあはずば

魂の 娑婆と冥土に うかぶから 世に死に生きの ありと知れ人

3番

おそろしや 無間地獄に 落ちゆかば 再び浮かむ ことのなからむ

聞きてさへ 身の毛いよだつ 地獄餓鬼 落ちて行なば いかがしてまし

鬼の子は 心よしとも 人ならず 善人とても 凡夫なりけり

4番

後の世は 迷うならいと 聞きながら 道を求めぬ 人ぞ悲しき

なにひとつ 覚えて罪は 作らじと 世に愚かなる 人はいふなり

ゆきかよひ 寝ても起きても 世の人は 思ふも言ふも さわりとぞなる

5番

善根も なさで戒法 たもちえず 御法の道に いかでかなはん

むしょうの 罪に姿の あかならば 須弥よりかたき 山と成らん

歯は落ちて ゆきの白髪の おひぬるは それぞ閻魔の 使とぞ知れ

6番

恐ろしや 名もなき虫と 生まれなば 人にも縁の 遠ふざかるらん

よしやまた 都卒天まで 生まれても 生死をいづる ことはなきなり

往生は 菩提心ぞと 悟りつつ 慈悲を起こして 人救ふなり

7番

戒行の 足腰立たぬ われらゆへ 誓ひの舟に 乗るぞ嬉しき

時過ぎて 自力修行は ならばこそ 身をも心も かへり見よ人

いかにせん 日は暮れ方に なりぬれど 西にゆくべき 人のなき世を

8番

自力には 菩薩も戒を 破りなば もとの凡夫に かへるとぞきく

他力には 破戒ながらも 唱ふれば 往生成仏 するぞ嬉しき

諸菩薩も 自力成仏 ならずとて 西にむまれて 仏とぞなる

9番

見捨てても 諸仏も弥陀に 頼めとて 慈悲のあまりに おしへたまへり

阿弥陀仏と ならせたまへば 誰も皆 往生こそは たがふことなし

たのませて たのまれたまふ 弥陀なれば たのむ心も 我とおこらじ

10番

弥陀頼む 人はあまよの 月なれや 雲晴れぬども 西にこそゆけ

煩悩の 罪はあれども 阿弥陀仏を 唱ふる口に 出入りまします

往生を せんと思ふを 願として まふす計を 行とこそいへ

11番

死して後 我が身にそへる 宝には 南無阿弥陀仏に しくものはなし

しゅうぜうは 他の経にも 有ぬれど 恒沙諸仏の 舌相はなし

往生を 確かに思へ 受やうと 諸仏の慈悲の 証拠なりけり

12番

十方の 三世の仏も 正覚を 弥陀によりつつ とらせたまへり

舎利弗も 阿難も知らぬ 六つの字の 功徳を凡夫 いかでしるべき

あなたふと 南無阿弥陀仏の 六つの字に 深きいはれの こもるとぞきく

13番

名号を いかなることと たづぬれば 助け給への 言葉なりけり

定散の 行も仏は 説ながら 六字ばかりを 附属したまふ

阿弥陀仏の 真実心の 不可思議の 慈悲ぞむもじの 御名と成けり

14番

念仏の 浅き教へは そのままに 深き御法の 不可思議ぞかし

法滅は みなあんじんも 失せ果てて まうすばかりに 助け給へり

さひはひに 無智は念仏の 機なりけり ものをも知らぬ 人まどはする

15番

かくてこそ 我は了解を したるぞと 思はばやがて 自力なりけり

仏前に 勤むるときは うやまひて きょくせんには しくことぞなき

念仏は 助け給へと 唱ふれば 愚者も学者も かはらざりけり

16番

罪深く 疑ひ深き 女人さへ 二重の願に あふぞ嬉しき

心には 後生を先と 大事にし この世のことを 次と思へよ

心だに 立てし誓ひに かなひなば 世の営みは とにもかくにも

17番

ほころなよ 弥陀を後ろに 立つるとも 前に地獄の あるを知らずに

善根も 悪事もなせば 日にまして 後の世までも 報ひゆくなり

成仏は 五逆のものは ならぬとて 諸仏菩薩も 見捨て給へり

18番

罪深き 身は中々に 嬉しけれ さてこそたのめ 弥陀の誓ひを

煩悩は 人の目鼻に 似たりとて 他力の祖師は 許し給へり

片時も 澄める心の あらばこそ 澄ます心を 捨てて唱へよ

19番

喜ぶと 嘆くと腹の 立つ時も なににつけても 南無阿弥陀仏

よしや身に あらゆる戒を 保つとも 御名を唱へぬ 人ぞ悲しき

弥陀頼む 心の内に 隔てなき 仏はさらに 身をば離れず

20番

わするなよ 作りし罪は 深くして 仏の慈悲の 強きつかいひを

ひかれよや 心の波は あさくとも もらさで救う 弥陀の大網

紫の 雲の迎ひの 蓮台に 手をかくるまで 油断すな人

21番

極楽の 門の外でも 足りぬよと あはれつたなき 心起こすな

このたびも 往生せずば よしや人 衆生化益の 慈悲にたへなむ

一筋の 早瀬の川も 渡らんと 思ひ込めなば 岸に着きなん

22番

高慢は 八万四千の 煩悩の かしらとなりて 障りとぞなる

人みなは 深くねぶりに 沈む夜は 目を覚ましつつ われは唱へよ

名聞に 引き立てられて 唱ふれど わがこへきけば まこととはなる

23番

いつこにか 命限りに 勤めつる たふとき人の あるも知られず

往生を 願ふ誠の あさきゆへ 悪事を止める 心だになし

念仏は 弥陀の本願 諸仏さへ 世に残さんと 護念したまふ

24番

こざかしく かたことまぜて 経陀羅尼 読むよりもただ 御名を唱へよ

阿弥陀仏の 別の誓ひの 念仏に すけをさしなば 雑行となる

念仏も 余行も釈迦の せつなれど 六字は弥陀の 約束ぞかし

25番

名号の 徳をあらはす 余経ぞと おもへばすべて たふとかりけり

慈悲深き 神や仏の 諸々の 誓ひを露も かろしむなゆめ

専修とて 外のをしへを かろしむは おのが心の 僻みなりけり

26番

知らぬから 一向専修 念仏を そしるやからは 地獄にぞゆく

ともし火を 神に捧げし 光にて 行き来の人も 道をこそ見れ

極楽へ 参らん事を 悦ばで なに嘆くらん 穢土の思ひを

27番

世の憂さも 地獄の苦には 比ぶまじ まして浄土は 楽しかりけり

身のほどは とまれかくまれ 機のままに 御名を唱ふる 人はたふとし

わずらはず 歳もよらざる 根気ある 若き盛りに 励みつとめよ

28番

明暮に 浮世のことに つながれて ただ忙しと 終にはてなむ

浮世には 心も身をも つくせども 後世にうとき 人ははかなし

鐘を打ち 珠数をつまぐり 身をせめて 大声あげて 励み唱へよ

29番

わが耳に きこゆるばかり 唱ふべし また大声に しくものぞなき

はや口に 身をも心も 打ちまかせ 助け給へと 励み唱へよ

唱へつつ 寝ても起きても 往生を 忘れまじとの 日課なりけり

30番

一たびに つとめてよしと 思ひては 臨終までを とりこすぞうき

折々は 身をも心も 励め人 供養はおのが 心こころに

みな人も 代わるがわるに つとめよや 無間修とこそ 祖師はおしゆれ

31番

誰もみな 下根なりとて ざら繰りに 祖師の慈悲にて おしへたまへり

日課にも 百万遍を ひとりして つとむることは たふとかりけり

念仏を とどむる人は あなうたて わが往生の かたきなりけり

32番

自力ゆへ 往生せぬも うかりけり 他力の願に かなはざりせば

一筋に 無智もうまると 思へただ 知るも知らぬも 渡す誓ひを

わが法は たふとしといひ 念仏を いひやぶりなば 邪道なるべし

33番

御名唱へ 往生すると 定めなば われはつとめて 人を導け

皆人を 渡さんと思ふ 心こそ 極楽へゆく しるしなりけり

けふよりは 命の終る ゆふべまで 身をつくしても 唱へよや人

34番

明け暮れも 寝るも起きるも 食時にも その節ごとに 十声唱へよ

唾吐くも 二便も西に 向ふなよ 寝るには西に 向かふなりけり

たへまなる 阿弥陀仏を 念ずれば 仏も常に 見捨て給はず

35番

観念の 念仏は祖師も 自力にて 他力の法に あらずとぞいふ

急がでも 往生遂げば 阿弥陀仏を 心のままに 拝みこそせめ

かくまでに 疑ひ深き 心かな 許したまへや 南無阿弥陀仏

36番

疑へる 人はともあれ われひとり 往生せんと 決定はせよ

唱ふれば うら思ひする こともなし おこたるにこそ 疑ひもあれ

ただまうせ まうすうちには 自ら 深きまことも おこりこそすれ

37番

まことかと たづねいだすに 及ぶまじ 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

阿弥陀仏と いふより外は 津の国の 難波のことも あしかりぬべし

愚かなる われらが信を 先立てて 次にはなさじ 弥陀の誓ひを

38番

御仏の 光にあへば 罪人も いづる念仏ぞ たふとかりけれ

ねんごろに 生まれさせんの 願力に 取り立てられて 往生ぞする

悪事して からめとらるる ごとくにて 唱ふる報ひ 弥陀にひかれむ

39番

往生を もし占はば 念仏を まうす人こそ 一定としれ

往生は 紫雲異香の きずいより 唱ふる声ぞ しるしなりけれ

唱ふれば 文殊普賢も 阿羅漢も 祖師も我らも 友となりぬる

40番

世にこへて 立てし誓ひの 念仏を 神や仏の ほめざるはなし

ともすれば とふとき御名を 穢すぞと 忌み嫌ひては 地獄にぞゆく

念仏は 万徳所帰の 徳ありて 神や仏の きかざるはなし

41番

余の国は 寿命に限り 有りぬれど 弥陀の御国は 限りなきなり

寝てもまた 起きても弥陀の ふところに ゐるぞと知れば 嬉しかりけり

念仏を 励めば花は 栄へけり 怠るときは しぼむとぞ聞く

42番

臨終を 今日と思ふに のびぬれば へいぜいとこそ またはなりけり

死ぬる身は にくやかはいや おしほしと 心残せば 迷ひこそせめ

極楽を 心のをくに たづぬれば 南無阿弥陀仏の 口にこそあれ

43番

病人を 仏のごとく うやまひて あはれむことは 子のごとくせよ

あめ露を うけつ野山に はつる身を 深き情けの かいはうとしれ

さいごには 悪魔が競ひ 来るなれば 正念なれと 弥陀の来迎

44番

夜昼に 御名いくたびも 授かれよ 死苦を逃れて 正念となる

をりをりは 御手の糸をば 手にかけて 引接摂取の 思ひなすべし

もし人の おはらん時は 念仏を すすむる人は 善知識なり

45番

臨終は 死苦や八苦に せめられて 念仏をまうす ことのならねば

終るとき 嘆きの声を もし聞かば 心とどめて 悪趣にぞゆく

終わ時 ただ茫然と なりぬれば つきそふ人は 御名をすすめよ

46番

肉酒を くはば悪魔の 誘ひ来て うたて悪趣に 引かれそぞゆく

誰も皆 八万四千 かづかづの 塵労門の 死苦は逃れず

拝腹の 名号を湯に 入れおきて 十声唱へて 口をうるほせ

47番

いらふなよ いらはばいよいよ 死苦まして 心乱れて さはりとぞなる

をはりなば ややほど過ぎて あつかへよ 急ぐまじとは 祖師の教へぞ

観音は 蓮台寄せて 乗せさせつ 勢至は積むり なでたまふなり

48番

極楽は 寿命無量に 長ければ 楽しみもまた 尽きることなし

身にまとふ 衣服じねんに あらはれて 心にみつる 百味おんじき

ただまうせ ただと思はで ただまうせ まうすがたの ただまうすなり